点尊降臨!

「ぼくが何者であるかは、お前が決めれ!」 なんか創る人をやってます。

転職活動をやってみることにした

箸にも棒にもかからない自信はある。なぜなら履歴書に書ける実績などはないに等しいからだ。


社会人として業務報告や提案に関する文書作成、業務内容のプレゼンテーションについてはなんとか及第点くらいはあるんじゃないかとは思う。
ただ、それはあくまでも求められる技能を円滑にするための潤滑油としか受け止められないと思っている。
基本的にぼくはぼく自身に、「普通の会社で働ける」という評価を得られるとは思っていない。


そんな箸にも棒にもかからないことを自覚しているぼくは、昨日転職フェアへ行ってきた。
電車のつり革広告を見て、どんなものなのか興味が湧いたからだ。昨日は合計で6社のブースに足を運び話を聞いた。


社長自ら赴いているブースもいくつかあった。そういった会社はよっぽど人材を求めているか、社長が直に人材を判断をしたいかなど様々な思惑があるのだろう。気持ちはわかるな。


ある会社は教育担当の方が会社説明を行っていた。非常に素晴らしいプレゼンテーションを行っていた。何が素晴らしいかと言うと、何を伝えたいかが明確であること。そしてそれを伝える順序が正しく整理されていて、的確なことだった。彼は講師としての資質の必要条件を備えている非常に優秀な人材だなーと感じた。見習いたいと思った。
(詳細は書けないのですいません)


説明担当者が名前を名乗った会社が訪問した6社中4社。対面コミュニケーションで名乗るか名乗らないかは、結構大事だと考えているので、数値をとってみた。しかし、その後の予定があったため、他が回れず、サンプルが少ないのが残念。


転職希望者の方々を観察して、当然だけど様々な人間がいた。ぼくはオーダーメイドのスーツを着用していたこともあってか、パリッとしていると企業ブースの方より評価をいただいた。見た目大事だなと思った。


見た目だけじゃアレだけどな。履歴書見てガッカリして担当者の方へは、ただただ説明してくださった感謝しかない。


というわけで、転職活動をとりあえず始めたよ。

加速する21世紀との追いかけっこな、ぼくらの日常

21世紀の残酷さを心にしみるほど感じる出来事があった。6月5日にイベントに出る。その宣伝のためにDVDから動画を作るべく、愛用のMacBook Proで作業をしようとしたときのことだ。
DVDの動画をMacBook Proへ取り込もうと作業するが、いっこうに進まないのだ。結局、我がMacBook Proはぼくの期待に応えてくれず、DVD取り込み事態を拒否した。
 
何が問題かはわからない。しかし、我がMacBook Proはぼくの問いにも相変わらずの沈黙を守っている。ぼくの何がいけないというのだろう? 多少Enterキーを強く叩く癖があるかもしれない。でもそれくらいだろう…とは信じている。
 
我がMacBook Proは購入してようやく6年目を迎えようとしている。6年と言えば小学校入学した子どもなら6年生になっているし、 中学校1年なら高校三年生、受験やら就職活動に入る。
 
まだ6年と思っていたが、6年も経ってるとも言える。そりゃ、OS X マウンテンライオンじゃエバーノートもアップデートできなくなるわけだ。
 
そんなテクノロジーの変化についていけてないMacBook Proを所持しているわけだが、これはOSアップデートを行えばまだなんとかなる。
 
しかし世の中には残念なことに、現代社会のアップデートに追いついていない人が多々いる。彼らはこの21世紀の中で原理原則を無視して、デマの拡散に加担している。
 
以前、インターネットが普及したことで、誰でも発信者になれる時代になったことを記事にした。この零細ブログではそんな発信をしても影響力なんか大したことないけど。みんな居酒屋でくだまくような内容を簡単に投稿している。発信者の品性を下げるくらいで済むならまだ良いが、明らかなデマまで、良さそう! と思って流すのは公害だと思う。
 
 
そこで、明らかなデマを簡単に流してしまう人の傾向について、考えてみた。
 
 
【簡単にデマをシェアする人の特徴はこれちゃうか? リスト】
1. 投稿者の発信をそのまま信じてる
2. 信じてるから裏を取らない
3. テレビや雑誌に出てる人の発言は必ず正しいと思い込んでいる
4. 政府に対して信用が一切ない
5. 中学、高校の化学は嫌い/苦手
6. 論理より不安が強い
 
 
今、思いつくのはこれくらいだ。
 
 
次に最近見た明らかなデマは次の通り。
「EM菌で放射能除去できる」
「大地震が4月にやってくる(ケムトレイルとかそっち系)」
「カット野菜は危険」
福島県には住めない系の投稿」
 
 
 
⚫︎EM菌で放射能除去できる!
 
 
できねえよ。
100%デマだ。いや10000000000%デマだ。断言できる。
放射性物質とは放射性同位体を含む元素の塊なんだよね。
元素の構成は陽子、中性子、電子。
陽子の数でその元素の性質が決まる。
 
微生物か菌か知らんが、そんなもので陽子を引っぺがしたり、またはくっつけたりはできない。そんなことができれば、核融合による発電が一般化しているだろう。
 
 
※因みに、被曝対策サプリは体内被曝を抑制する効果は一切ない。
これもデマ…というか詐欺です。
嗚呼、言ってもうた。
 
 
 
⚫︎大地震がやってくる!
 
 
地震予知を正確にできる技術はまだ確立されていない。
それに情報元を調べてみると、統合失調症の疑いがある人物の発言が取り上げらている。
統合失調症の疑いがある人のTwitterの発言に左右されて、アホな記事書く人はどんな判断基準でそれを採用しているかはわからない。
ケムトレイルと称して雲を読み解く人は雲占い師か? 気象舐めてんの? と思うが、デマ発信される方は左記のケムトレイルやら地震兵器やらを自信満々に発信されているように見受けられる。
わざと他国に地震を起こさせるなど妄想する人に騙されないようにしてくれと、ぼく個人としては思う。
文明の成り立ちを理解してれば、妄想とわかるレベルの情報に左右される人々を見て、日本の教育の失敗を感じるのだ。
 
 
 
⚫︎カット野菜は危険
 
 
賞味期限、消費期限を過ぎても腐らないのはおかしい!
って、あの…(´・_・`)
発信者が理科嫌いなのはわかったよ。
食品、食材の腐るタイミングなんて厳密にはわからない。だから、食品が腐る前に食ってくれってことで、暫定的に消費期限やら賞味期限が設定されている。
期限過ぎたら一瞬で腐るって、どんな文明脳なんだろう。こんな発想ができるのは豊過ぎる証拠なのではないかと思う、
 
因みにスーパーで売ってる食材は基本安全だ。
有能薬、無農薬などに限らず基本食べて良い。あとはスーパーの品質管理次第。
 
有能薬が危険と言ってる人は、いつの時代の農業のことを言ってんだろう。
農薬も改善されてるし、適当に蒔いてるわけじゃないからね。農薬の目的は野菜などの生産品を安定して生産するためでもあるし、人間の腹に入る寄生虫を殺すことも目的だ。
 
日本は恵まれてるから、有能薬、無農薬に限らず好きに食べて良い。当然カット野菜も普通に食べて問題ない。
(※ただし、無農薬は腹に虫を追加して飼育することになる可能性はある)
 
 
 
⚫︎福島県には人は住んじゃいけない!
 
 
避難区域指定に住んでる人…いないと思うんだけど。
福島県で人が居住してる地域に住めないなら、シンガポールには住めない。シンガポールのが空間放射線量が高いからね。
ヨーロッパにも空間放射線量が福島県より高い地域はあるし。
それに、福島県に住めないと信じている人は、飛行機にも乗れない。飛行機は高高度を飛ぶから宇宙線による被曝が地上より高くなる。
 
もし福島県にいて鼻血がでるなら、飛行機乗ったら出るよ。
歯医者で口内レントゲン撮っても鼻血が出るはずだ。それも多くの人にその症状が出てもおかしくない。しかし実際にはそんなことは発生していないし、発生しない。なぜなら低線量の放射線で鼻血はでないと断言して良いからだ。
(歯医者のレントゲンは最大4msvの被曝となる)
 
「鼻血がーっ!」と言うデマを信じている人がいるけど、福島県で鼻血が有意差があるほどに増加した事実はない。
そもそも低線量被曝で鼻血が出ると言ってる人には、放射線障害についての知識が一切ないと見て良い。
 
 
また農作物に対しても偏見がある人は多いな〜。ここは農家の皆さんの弛まない努力、そして世界有数と言っても良い放射線検出検査体制が福島産品には敷かれている。福島県産品でスーパーへ流通しているものは安全安心を保証された食品と断言できる。
 
日本の食品中放射線量の基準も相当厳しいんだけど、そんなのじゃ安心できない人も多いんだろうなと思う。
ぼくは気にせず食べるけどね。
 
 
 
 
⚫︎最後に
 
21世紀、インターネットによって誰でも情報を発信できるようになった。素晴らしいよね。
でもさ、その中にはデマや良い加減な情報もたくさんあるよ。
死人の数は言わずに少ない成功例だけ並べて利益を得ようとする奴はいっぱいいる。
日本がイスラエルに武器を売る契約を取り交わしたというデマを流す自称元ジャーナリストもいるしな。
(提示されたヨルダン新聞のサイトをくまなく調べたが該当記事自体なかった)
 
誰でも発信できるってことは誰でも嘘を流せるってことでもあるんだよ。
そこのところは頭に入れておいた方が、誰かを不用意に傷つけたり、気づかないうちに差別したりしなくなると思う。
 
 
上記のデマの中のEM菌については中学校、高校の化学の知識をある程度持っていれば騙されない。地震の件も調べれば発信者が妄想の中に生きていることがわかる。それに文明の成り立ちを理解していれば、ケムトレイル地震兵器などの単語に妄想、SFが見て取れるはずだ。
 
放射線被曝の件は化学の基礎知識と、放射線医、または放射線障害の医療に従事している人の本を読めば学ぶことができる。
 
ぼくは福島県に学友が在住であることもあり、調べた。
 
今の時代、探せばなんでも情報は見つかるかもしれない。しかし、情報を剪定し選定する目は自分で養わなければならない。むしろ、インターネット全盛のこの21世紀の方が勉強し続けること、知ろうとし続けることを要求されているんだ。
 
そろそろ21世紀にアップデートしよ。
 
 
 
【参考文献】
放射線と冷静に向き合いたいみなさんへ』 ロバート・ピーター・ゲイル/エリック・ラックス共著  朝長万左男監修  松井信彦 訳    早川書房  2013
 
『知ろうとすること』  糸井重里/早野龍五 共著  新潮文庫  2014
 
『いちから聞きたい放射線のほんとう 〜いま知っておきたい22の話〜』 菊池誠/小峰公子 共著  2014
 
放射線被曝の理科・社会  四年目の『福島の真実』』  児玉一八/清水修二/野口邦和  共著  株式会社 かもがわ出版  2014
 
『世にも奇妙な人体実験の歴史』 トレヴァー・ノートン著  赤根洋子訳  文藝春秋  2012
 
Newton 別冊『完全図解  周期表  第2版  〜ありとあらゆる「物質」の基礎がわかる」  株式会社ニュートンプレス  2010
 
などなど。

犬が歩けば棒に当たると言うが、ぼくが歩けば何に当たるだろう?

あなたもなれる! あなたもやれる! って言葉に惑わされて早36年近くが経過しています。 もう惑わされたくないので、そういった類の本はもう買わないことにした。

良く考えてみた。いや、今更かもしれないが良く考えてみたのだ。俗に言う自己啓発本について。確かに読めば意識高い感じになるし、仕事に対する見方とか若干変わるぽく感じる……。しかしこれはあくまでも感じるだけなんだ。自己啓発本読む人って、その多くは現状に不満持ってて自分の環境を変えたい人が多いと思う。自分の仕事上のスキルアップで読む人って意外と少ない気がする。

だいたいが読んで、自分と同じ考えだ! ってうんうんと頷いて満足したり、自分の意見を補強する話に頷いてる気がする。
役に立つ啓発本もあるだろうし、実際に実践すれば何か良いことあるかもしれない。
でも、読んだ人で実践してる人って少ないんじゃないか? 

著者と環境も年齢も境遇も違うから当たり前なのかもしれない。けど、読んだ人の8割は何もしてないんじゃないかな。全員が自己啓発本の通りに行動したなら、世の中もっと変わってる。


だから、ぼくは読まない。いや正確には買わないことにした。もうその8割のままでいたくない。お金を出版社と著者に貢ぐだけの存在から卒業しようと思ったのだ。読んで満足するくらいなら、飢えて行動する方が良いと言う結論に達したのだ。

もう脳内完結なんてしてても、一銭にもならない。なら、とりあえずやってみるしかない。

でも不安だ。不安はたくさんある。未来のことはわからないからだ。今ある絶望的な環境にしがみつきたい! そんな考えに占領されていても責めることはできない。

嗚呼! 不安を解消するためには、行動の動機付けをするには自己啓発本が必要だ!
そうだ! 図書館で借りるくらいなら良いか…いや良くない!


買っても借りてもそれで満足するのは痛々しいので、とりあえずLINEのスタンプを作ることにした。

犬も歩けば棒に当たる。
やってみれば、棒ではなく金に当たるかもしれない。
人生という海原に小さな波紋を作ってみようと思う。

音楽系イベントの告知の雑さについて思うこと

ついさっきiPhoneFacebook アプリを削除した。

理由は気疲れ。FacebookについてはPCでも閲覧しているから、アクセスの頻度が下がるだけだし、差し支えがないと思ったことも削除した理由のひとつだ。

 

Facebook(以下FB)では様々な人が情報発信している。利用している人のタイムライン(FB上で友達になっている人の投稿がでてくる)には、当然誰とつながっているかによってその内容は異なるだろう。ぼくのタイムラインにはイベント告知や良い話のシェア(Twitterで言うRT)、怪しいブログ記事のシェア、明らかなデマ記事シェア、つながっている人の日常、時々事実を記した記事などが流れてくる。

 

それに疲れたというよりも、純粋にスマートフォンを使ってまで見るようなものではないものに縛られている自分に疲れたのだ。

 

誰でも発信できる世界。遠くにいてもFBへ流れてくる記事を見れば、誰がどこで何をしているかがわかる。怪しいブログやデマ記事のシェアを除き、多くの記事は見ればわかる程度の内容だし、人畜無害な記事がほとんどだ。

 

そんな中にイベント予告が紛れ込む。すでにビジネス展開するほどの力を持つ方々のイベント告知はターゲットを絞っていてわかりやすい。だから届くべき人に届いているんだろう、伝わっているんだろうと思う。しかし、ミュージシャンなどの音楽系のイベント告知は阿呆の極みで、効果がない。

いや、それ誰に伝える気あるの? 馬鹿なの? って告知が多い。

写真+文章の投稿の場合、その写真がナルシシズムが溢れ返っているのものの場合、痛々しさすら感じる。残念だ。キモイ。

 

新バンドであれば仕方ないかもしれない。でもずっとバンドやミュージシャンをやっていれば、音源や動画を持っている人は多いのではないだろうか? もうすでにある程度名が通っているのなら、動画や音源を貼付ける必要はないのかもしれない。しかし、複数バンドが参加するイベントで既存顧客を集めるだけなら不要だろうが、新規顧客を集めるならイベント告知用の動画などを用意する方が良い。知らないバンドやミュージシャンのイベントに2000円払う客が少ないことを知るべきだ。

 

ただ情報を並べるだけで伝わると思っているのかもしれない。それでは何も伝わらない。文字という記号を並べているだけであることに気がつかないのだろう。

 

では、どうしたら伝わるのか?

最初に次の順序で自分が伝えたいことを整理する。

(1)コンテンツのジャンル

(2)コンテンツの魅力

(3)ターゲットとなる人物像

 

これらがわかれば、次はどんな流れでコンテンツを宣伝するかを考える。

 

(1)イベント名

(2)イベントの種類

(3)ターゲットの明確化

 音楽イベントならどんな音楽が好きな人なら楽しめるかを伝える

(4)コンテンツ内容とその魅力

 各コンテンツの紹介を短い文章で行う。

 (出演者のHPリンク、音源リンクや動画リンクを張るのも良い)

(5)イベント出演者の動画を編集しひとつの動画にまとめたもの。

  2分から3分程度で各バンドや出演者の音源が入っている動画を切り貼りして出す。

 

この(1)〜(5)へ導くには導入をしっかり書くことが必要だろう。

人に読ませる冒頭やキャッチコピーを入れて、ターゲットを宣伝へ導くのだ。

そもそも自分の音楽が最大の武器なら、それを宣伝でも活かしましょうよ。今、あなたのこと「好き!」って言ってくれる人を大事にしているとか言うなら、お前、それ言い訳だから。

 

あなたの音楽を好きになってくれるかもしれないが、いっぱい隠れているかもしれないなら目立たなきゃ見つけてもらえないよ。今は色んな情報が氾濫し、楽しいこともいっぱいある。だからこそ、目立たなきゃいけないし、惹き付けなきゃいけない。

 

中には文章だけで興味を持たせることができる人もいる。しかしそんな人は稀だ。稀なんだ!

 

そしてこれを書くに至ったのは、何を隠そう自分がこの「伝える」ということに苦心しつづけているからだ。ぼくも、この上記の件に気がついたのは失敗を犯してきたからだ。だから、ぼくが犯した失敗を、これを読む人が同じ轍を踏まないことを切に切に願っている。

 

 

 

いずれ解れてなくなる絆であったとしても

「生きるか死ぬかそれが問題だ」

 シェイクスピアの『ハムレット』の冒頭でハムレットが語る言葉だ。

 

昨日、ぼくは5年ぶりに歯医者へ行った。

右の上の奥歯がものを噛むと痛むのだった。歯医者で局所レントゲンを撮り解説を受けた。虫歯を治療した際の詰め物をした奥歯の周辺でどうやら痛みが生じるようだった。

ぼくは医者の解説を静かに聞いた。結局のところ、様子を見るということになった。昨日は結局歯のクリーニングと痛みが生じる箇所をコーティングしただけで終わった。

その時、医者はぼくに「これからも長い人生だから、歯の治療について云々・・・・・・」なることを言っていた。そんなに長く生きる保証なんてあるのかと、少し思った。平均寿命的にはそうなんだろうけどね。

 

小中学の同級生が亡くなった。昨夜、知り合って30年の友人が教えてくれた。LINEでそれを伝えてくれた。現代的だ。

今日がその葬式らしい。

ぼくは取り立てて彼とは親しくなかったし、かと言って仲が悪かったわけでもない。二年か三年前に同級生で集まることがあり、その時に会ったくらいだ。
まあ、普通の同郷の同級生というところだ。
 
死んだ同級生のことは、たぶん小学校1年くらいから知ってると思う。30年来の知り合いである。友達というほどの付き合いはなく、ただ知り合いというには親しすぎる。いや知っている気になっている。
 
ここ1年ほどで「絆」について考えている。ぼくは彼とぼくの間にあった言いようもない繋がりのことを考えている。それほどの絆を彼とは築いてこなかった。でも、知っている時間はすごく長い。
さっき彼の死を教えてくれた友人とLINEでチャットをしていた。ほとんど忘れていた彼の記憶がわき水のように、ぼくの記憶の表層へにじみ出て来た。そこでようやくぼくは彼が死んだことを実感した。
 
 
絆とはなんだろう? 一度結んでも、解れていくものなんじゃないのかな? 結び直して結び直してってやる必要のあるものだったり、それが必要なかったり、絆にも色んな結び目があるんだろうと思う。
 
ぼくは葬式には行かない。たまたま知ってしまっただけの彼の死を悼む資格があるとは思えないからだ。語る言葉をほとんどもたない者がそこへ行くのは憚られる。だから彼のことを語る言葉を持つ人たちの空間が維持されることを願っている。思い出になってしまった彼を、思い出すことでぼくは彼を悼もう。
 
ぼくはいずれどこかで死ぬだろう。これ読む人が知らないうちに死ぬだろう。当然、これを読んでいる人がいつ死ぬのかなんて知らないし、知らないうちに死んでいるんだろう。もともと一期一会ということはそういうことなんじゃないかな。今日出会った人が気がつけば鬼籍に入っている、むしろ知らないうちに鬼籍に入っていることなんてザラだろう。
 
だからこそ、いずれ解れてなくなる絆であったとしても、その時だけでも大事にするっていうのはアリなのかもしれない。
そう、思う。明日は君の名前を忘れているかもしれないけれど、それでも今君と過ごす時間は大事なんだって言える。そんな関係じゃないと一期一会がもったいないから。
 
 

無責任であるというリスク

皆さんも年齢がある程度いくと感じることはあるだろう。三つ子の魂って百までなんだなと。
先日30年近く付き合いのある友人から誘われ、やむなくスマートフォンのゲームを始めた。
そのゲームはインターネットを通じてその場にいなくとも同時に複数と同じゲームができる。いわゆるMMOと呼ばれるゲームの一種だ。ゲーム上では直接対話できないのだけど、その友人がLINEグループを組んでいる。ぼくもそこへ参加しているのだ。

そのLINE上で交わされる会話がなんとも……子どもじみている。いや、思春期男子のアホ会話とまず変わらない。友人以外のメンバーとはまだ実際に会ったことがないのだが、皆三十歳をこえた良い大人のはずだ。が、しかしであるそこで交わされる会話は世間一般が持つ大人のイメージからはかけ離れている。
ぼくは自分も含めてだけど、そのアホで阿呆な会話を心から楽しんでいるのだ!

そうそう、そういえばこいつ昔からそうやった! と思っていて、そして自分もそんなに変わっていないんだと思ったのだ。三十年以上変わらないということは三十年以上それを繰り返しているということだ。良くも悪くも…。

つまり昔からダメな奴は大概ダメなままだったりする。昔からデキる人はだいたい今もデキる人なんだ。人は変わるという人もいるし、それはある程度事実だろうけどね。
しかし、三十年以上も続く習慣や思考法を一朝一夕では、たったの一時間で改めることはできない。
人が変わるのは大概多大なストレスで二進も三進もいかなくなった時だ。危機的状況がなあなあで良くなったと思っている人は必要な行動をしない。

そんな人が発するのはだいたいが言い訳だ。自分が行動しないことで、周囲にかけている迷惑や、それが企業や団体ならその団体へリスクを背負わせていることに気がついていない。

今働いている現場のマネジャーはそんな人間だ。責任を持つ気がないからだろう。彼自身が自分の立場を理解していない。そのことをなるべく具体的に指摘したつもりなんだが、三十年以上責任逃れと受け身の人生を送ってきたのだろう。残念ながら、彼の思考法では仕事の基本自体がラジカル過ぎてその重要性が全く理解できなかったようだ。

では、ここまで偉そうに書いてるお前はわかってんの? ってなってると思うので、その仕事の基本について記そう。


【仕事の基本】
1.確固たる未来像をつくり、周囲へ周知徹底する。
2.未来像に準じた具体的な目標を作成し、周知徹底する
3.具体目標達成のためのプロセスや手段の構築、実行、フィードバック。

例えば、ある宝島がある。その宝島で財宝を得るために船で出港する。
この時の上記三点は例えるなら下記の通りだ。

・未来像: 宝を得て金持ちになる
・目的: 宝島へたどり着き、宝を探す
・プロセス、手段: 
  →船で宝島へ向かい、上陸し探索する。
  →水と食料の確保
  →掘っ作作業のツールを準備…等々

気がつく気がつかないに限らず、仕事のできる人はこの流れを明確になぞっている。
もし、あなたが船乗りで、目的地は不明だが出港すると言う船長が指揮する船に、喜んで乗るだろうか? そんな船に乗るのはリスクが高過ぎて避けるのが普通じゃないだろうか?

未来像、目的、手段・プロセスを決める立場の人間は、当然決めたことに責任を持たなきゃならない。しかし、何も決めないで船を出すなら、結局行き先がわからず海の中で遭難してしまう。行き先不明の船では乗組員はちぐはぐな行動をとる。乗組員がちぐはぐな行動をとる場合、その原因は船長などの管理者側にあると言って良い。

ちぐはぐな船員、部下の行動は船長や管理者の仕事を無駄に増やす。それは船長や管理者がちぐはぐなのだから当たり前なのだ。しかし、このことに気がつかない船長はけっこういる。

もしあなたが責任ある立場にもかかわらず、責任を放棄し上記手順で仕事をしないなら、そうそうに辞職するか今この瞬間から考えと行動を変えるべきだ。

ぼくが今働いている現場のマネジャーは、いずれその行動の対価を支払うことになるだろう。もし、彼がこのブログを目にして、リスクを負わないことで、リスクが上昇すること、自分の仕事を増やす結果になっていることを気づけば良いけど。無理だろうな。
なぜなら三つ子の魂百までだから。

運が良すぎて困ると思う日常

ぼくは非常に運が良い。人類史上誰もぼくの運の良さに並ぶ者はいなと思う。皆さんの運を全てぼくが奪い尽くしていたら、本当ごめんねと言いたい。

それが、たとえ行き先不明の船で櫂を漕いでいるとしても、ぼくは超運が良い。
ぼくが乗っている船は行き先不明。船が出る前から特に目的地は告げられなかった。これは好きに櫂を扱っても良いということなのだろう。素晴らしい! なんて素晴らしいんだ!!! 
指示はただ「船を漕いでください」、単純かつ明快だ!

そんな日々が続いていたのだが、先日いきなり船長から目的地へ近づいていないとお叱りがあった。「えっ? 目的地なんてあったの?」とぼくは思った。目的地のない航海、闇雲に進んだ船の中にいることにようやく気がついたのは、その時だった。通りで船酔いが酷いはずだ。

ただその後も具体的な目的地は告げられることはなかった。先日、船長へ目的地を尋ねたけど、答えてもらえなかった。なぜなら、船長には目的地なんてものがなかったから。ただ船を任されたので、その船を目的地も設定せず、海に出しただけなのだ。もしかするとこの虚無的な無責任さにニーチェが拍手してくれるかもしれない。

それにしてもぼくは運が良い。おかげで船長の仕事がどんなものか、より良く理解できた。それに、基本的な仕事術についても良く学ぶことができた。無責任であるリスク、そして無責任に他人に責任を押し付けるリスクを他人を通して知れたのだから幸運この上ない。

このどこが運が良いどこがいうのか? と思われるかもしれない。だが、あえて言おう、ぼくは超幸運だ! なぜなら、この失敗をした船長はぼくではないからだ。おかげで同じ失敗をしなくて済む。ラッキー、幸運、運が良いと言わざるを得ない。

さあ! これでも、あなたはぼくほどに運が良いと言えるかな?