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点尊降臨!

「ぼくが何者であるかは、お前が決めれ!」 なんか創る人をやってます。

誰でも発信できる時代

SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)っていつからあるんだろう?
インターネットでWebサイトが初めてできたのが1991年。
その三年後の1994年にはアメリカで最初のSNSのサービスが始まりました。

今はオワコンと言われることもあるmixiは2004年で、Twitterが2006年、今主にオーバー30が目立って利用している印象が強いFacebookmixiと同じで2004年からサービスを行なっています。

SNSってユーザー個人個人でHPみたいなのを持っていて、自分の日常や、考えとか意見とかなんかの感想とかを書いたり、写真や絵とかも発信できます。
それまでも日記サイトがあったりBlogがあったので、誰でも発信できるのはできたんですよね。

日本のことしか知らないので、日本を例にとるとインターネットが身近になる切っ掛けは1995年のWindows95の発売だったと思う。Windows95は多くの人にパソコンを使うハードルを下げた画期的なOSだったと思う。それまでもMacはあったし、Macは先進的だったかもしれないけれど、一般人が購入するには高価過ぎたんだよ。
Windows95発売当時、ぼくは高校2年生、インターネットを使いたくてうずうずしていた。もうその時にはインターネットを使った商売なんかもイメージがあって、もし当時インターネットが自宅で使えたら、違った人生を送っていたかもしれない。
いや、今日はそんなことを言いたいわけじゃないんだけど、パソコンへの扉を開いてくれたWindows95への想い出が溢れてしまいました。

ブロードバンド、今では100GBとか言われているけど、始まった当時は1MBでブロードバンドだったんだ。ダイヤルアップでやるインターネットは忍耐の連続だったから、1MBでインターネットを使えた時は感動した。まあ、そんな1MBでもガラケーと言われる携帯電話にはすでに太刀打ちすらできないんだけど。

で、ブロードバンドが1MBから8MB、12MB、50MB、100MBと技術が進んでくる中で、一般家庭のインターネット普及に大きく貢献したのは、WindowsXPだと個人的には思っている。Meや2000なんかもあるんだけど、XPほど惜しまれてないよなっていうのがその理由。
リリースされた2001年から延長サポート終了の2014年4月まで多くのユーザーが利用してきたんじゃないかな?

XPになるとCPUの演算速度もハードディスクの容量も格段に増えた。それに対応できるOSだったんだ。そしてパソコン自体の値段も下がってきていて、普及率は高くなり、インターネットを使う家庭もWindows95発売時点とは比べ物にならないくらい多くなった。

過去に人類がこんなハイテク機器を家庭に持っていた時代はなかった。

インターネットが気軽にできるようになって、SNSが普及し始めた。
SNSではそのSNSによるけれど、閉じられた空間で限定された人達に、つまり友人として相互フォローしている人達への発信だった。
その発信に対して、反応をもらって満足するのがSNSで、これは今でも変わっていない。

しかし、SNSの中には「拡散」機能をもっている物があって、それが日本にも現れた。それがFacebookTwitterなんです。
昔は三文新聞や、三文週刊誌レベルの話題が、FacebookTwitterによって容易に拡散されるようになりました。これが時々ニュースを賑わせているわけなんですけど、これって昔からある状況ではなく、ここ数年のことなんです。
特にSNSをやっている人にとっちゃ当たり前過ぎて「はっ? 何言ってんの?」って感じなんだろうけどね。
頭の良い人はこの記事を読む前に気がついていると思うけれど、今はね「誰でも発信」できる時代なんです。そして誰かが発信した情報を誰でも「拡散」できる時代なんです。
だからこれまで居酒屋で愚痴っていた内容が、居酒屋で終っていたのに、うっかりTwitterでつぶやいたことによって拡散され炎上する事態が発生するんです。
これまでそれほど話題にもならなかったようなことが、大いに語られあたかも社会問題になったりするんです。
だってインターネットが普及する前って不特定多数に発信するのって印刷したチラシを配るとか、街頭演説するとか、広告を自腹で出す。もしくはコミケで同人誌を売るとかくらいだったんですよ。それがインターネットの普及で誰でも発信できる様になったのってすっごい変化ですよね? 
そう思いませんか?
つまり、あなたが発信する内容には大きな影響を及ぼす可能性があるってことなんです。
だからこそ物事をどう調べるかが重要になります。
ただ、残念なことに学校では物事をどう調べれば良いのかを教えてくれません。
教えてくれる教師がいたらむしろラッキーな状況なんです。
それはその教師が実は物事の調べ方を知らないからです。残念ながらその影響はジャーナリスト、新聞記者にも顕著です。


次回はその物事をどう調べるかについて書きます。
(つづく)