点尊降臨!

「ぼくが何者であるかは、お前が決めれ!」 なんか創る人をやってます。

歴史を学ぶということ

ぼくが住んでいるマンションはオートロックで自宅へ戻るにはエレベーターが必須だ。そして今、ぼくは電気を消費して動くパソコンを使っている。電気の発見は文明を大変革した。電気がなければ水道すら動かない。停電すれば、ぼくは自宅にすら帰れない。

日本の本土のほぼ全域に電線が通るようになったのは戦後以降だ。それまでは電気の通っていない田舎なんてざらにあったし、停電なんてしょっちゅうだった。それが今では停電が起こるのが稀な状況がつづいている。如何に電力会社が電気の供給に努力しているのかがわかる。
今そこにあるプラグをコンセントにつなぐと電気が流れるようになってからまだ100年と経っていないんだ。

小学校6年になってぼくははじめて学校で日本史の授業を受けた。あの頃は何気なくおもしろいから学んでいた。何がおもしろいのかは今でもわからないけれど、おかげで歴史に関しては一家言を持つくらいには知識がある。

これを読んでいる多くの人達は歴史なんて年表なんだろうくらいしか思っていないかもしれない。いや、もしかしたらそれが歴史教育がもたらした結果なのかもしれない。

今朝ぼくらが起きたように、昨日の昨日の昨日と遡っていくとぼくらの存在しなかった時間に寝起きしていた人がいることくらいは想像できるんじゃないかな? だから何? って言われそうだけどね。
ぼくらと服装が違ったり、価値観が違ったりするけど確かに呼吸をして歩いていた人が考えられないくらいの数でいたのは確かなんだよね。その人達の足跡を辿ることは今ぼくらが生きている社会の仕組みを知る一助となる。
多くの人はこの社会が生まれた切っ掛けとなる最初の事件をなんとなくでしか知らないし、理解なんてしていない。この最初の事件の意味を理解しておくと、色んなものの見方が変わる。

その事件とはもしかしたらあなたの朝ご飯にヒントがあるかもしれない。朝ご飯を食べない人は昼ご飯かもしれないし、おやつかもしれない。少なくともコンビニにはあるし、パン屋やスーパーマーケットにだってある。

あなたは今日、何を食べましたか? それとも昨日、何を食べましたか?
今、あなたは満腹ですか? それとも空腹ですか?
人類の歴史のほとんどは「空腹」が支配していたんだ。獲物を獲らないと、木の実が森や山にないと飢えるような環境に人間はその歴史のほとんどを過ごしてきた。
そんな中農耕が発明された。一番最初に何が栽培されたのかはわからないけれど、自分たちの手で食糧をつくることは人類にとってはその歴史を変えるための第一歩になったんだ。それが革命となったのは、麦の栽培の開始だった。

最初に麦の栽培に成功して発展したのはチグリス川ユーフラテス川の周辺で興ったメソポタミア文明と考えられている。麦の栽培の成功がなぜ革命と言って良いのか? それは麦が備蓄できる食糧だったから。
それまで獲れなければ飢えるような人生を歩んできた人類は農耕によってその食糧事情を改善させてきた。または家畜をつくって改善を試みて来た。でも決定的に食糧事情の安定化をもたらしたのは「麦」だった。麦の特徴は備蓄がきくことだった。備蓄がきく「麦」の栽培成功は飢えを減らし、人口の増加をもたらした。
備蓄ができる食糧の発生で人口が増えると、次は土地が足りなくなる。そうなると隣の土地が必要になる。その土地を所有している集落も同様に隣の土地を欲している事態が起こる。集落同士の争い=戦争が始まる。
それまでも全くなかったわけではないだろうが、食糧が備蓄されるようになってから戦争が頻発するようになった。
隣の土地を奪うことが食糧の確保に繋がったのだ。

また麦畑をつくる技術や栽培/収穫の技術向上は食糧事情を改善し続けるためには必須だった。そこでその技術を持つものには報酬として土地や農作物、金や銀など貨幣が与えられた。こうして報酬という概念が生まれ、報酬は貧富の差や権力を産み出した。
備蓄ができる食糧生産技術の確立が経済の生みの親なんだ。
これは推測だけれど、当初は物物交換だったものが貨幣に変えられていったのは備蓄には限界があり、麦を貨幣そのものにするには不便だったからだろう。
これは日本でも言えることで、日本の場合は明治時代に入るまで米が経済の単位となっていたけれど、その取引は主に金銭で行なわれていた。

つまり、麦や米などの備蓄食糧の生産が「戦争」と「経済」を生みだしんだ。このことを理解しておかないと戦争の原因を正しく分析できないし、経済がなんたるかを正しく理解できない。
歴史教育で不足しているのはこの視点を持って歴史を学ばせるということをしないことなんだ。

食=経済の視点を持って歴史を学ぶと、文明の成り立ちを理解できる。如何に楽をして大量に安定的に食糧を増産するかを考えて人間は生きてきた。そしてその食糧を守るために時には侵略し、侵略者に抵抗した。食糧は土地が産むし海や川が産む。だから土地争いは止まないんだ。その繰り返しのなかで人類は便利さを求め、それが現在につながっている。
歴史を学ぶことは現在を知る一助になるんだ。

代表卒業

「今日をもってcommon bar SINGLESを卒業します!」



というわけで4年勤めたボランティア代表を辞めます。
長いようで短い4年間でした。
個人的には残念なほどにお店の立て直しができんかったなという反省しかない。


試行錯誤と様々な反対と賛成の中で、いかに自分の意見を相手に伝えるかを考える良い機会だったと思います。
それに、仕事では全然責任ある立場でもなかったので、そんな意味でもこの4年間の代表業は貴重だったなと。

すでに店にすら寄り付かない生活になっていますが、今後お客さんとして寄ることはあってもマスターは多分やらんと思う。
理由は他にやりたいことがあるし、今休止中の計画もあるから。

 

まず、ここらでcommon bar SINGLESのことを説明しますかね。ぼくがなんの代表だったのかが、このままだとわからないだろうし。

common bar SINGLESとは毎日お店に立つマスターが変わる日替わりマスター制度のお店で、大阪でこの形態で13年以上続いている日替わりマスター制度ではほぼ最古のお店です。
これまで代表を引き継ぎしてお店は継続されてきました。
ぼくで、日替わりマスターの代表としては4代目になります。

common barのマスターになるには説教バーとうタイトルのマスター講習バーに参加すれば、誰でもなれます。
マスターは営業を担当する日の営業に責任を持ってもらいます。
シフトは自由で、自分の好きな日にマスターとしてお店に立つことができます。
ただし、ノルマがあります。日曜日から木曜日、祝日は1万円です。金曜日、土曜日、祝前日は1万2千円です。
このノルマを達成できなかったら自腹で補填となります。
お店には、お店が用意しているお酒があります。ノルマの達成はお店にあるお酒で達成すればよいものになっています。
当然、自分で持ち込んだお酒をお客様へ提供できます。その収入は自分のものになります。

マスターには詩人、ミステリマニア、アニメオタク、音楽好き、パズル好き、アナログゲーム好きなどの多種多様な趣味を持つ方から、ビジネスの交流を目的とした方、ただお酒が好きで自分の好きなお酒をみんなで楽しみたい方など色んなタイプのマスターが参加しています。


そんなお店です。
ちなみに代表は無報酬の職で、ボランティア。というかここの運営スタッフはすべて無報酬のボランティアで運営されています。

ここの代表を今回辞めるわけです。


お店の代表をやるってのは、なんとも不思議です。
というのは、特に本人は大した人間ではないのに「代表」という肩書きだけで他人に一目置かれたりするわけです。
いやあ、ぼくのことを知っているひとはそうでもないけれどね。
名刺交換をすると「代表ですか。すごいですね」みたいな言葉が時々でます。これは結局のところよく知らない人には肩書きが非情に強い効果を発揮するってことです。
代表をやって最初の発見はこの「肩書き力」ですね。肩書き=実力とは限らないことを悟りました。

この肩書きってのは魔物みたいなもんで、他人への効果もさることながら肩書きを持っている本人への魔力も高いんやろなと思います。
肩書きがあっても、その肩書きに見合わない人っていますよね。いわゆる「役者不足」な人。
これはつまるところ、本人が肩書きに見合うパフォーマンスを出す自信がなかったり、肩書きに求められるパフォーマンスを発揮できるようにまで成長できる自信がない場合にそうなっちゃうんじゃないかと思うのです。

肩書きがついたからって、すぐにその肩書きに見合う人間になるわけじゃない。人ってのはそんな高尚にはできていないもんです。

ぼくは代表をやるにあたって「責任」だけは意識するようにしました。と言っても100点満点ではないけど。
ぼくの前任者が非情に無責任な人で「引き継ぎすることはない」と一切引き継ぎしてくれませんでした。
同じことはしたくないとさすがに思いました。
引き継ぎに関しては文書にてまとめたものを用意し、店舗保険の引き継ぎもふくめて準備し対応しました。

それでも、自分を採点するなら100点満点で合格点を70点とするなら、50点かな。

4年間通じて、自分の未熟さや能力不足に直面することが多々ありました。
会社の社長さんは大変やなと思いました。この中途半端に気楽にやってこれたのはボランティアで運営されている組織だったからでしょうね。従業員がいないので、給料を支払う義務がなかったので、気楽だったわけです。


そんな代表の責任とも明日11月1日からおさらば!
11月以降はまず残っているレポートを終らせて来年に備えたいですね。
来年は、これまでできなかったことを中心に「おもしろく、楽しく、うれしく」を達成していきたいです。

誰でも発信できるからこそ必要な「ものの調べ方」

最近、なんでも鵜呑みにはできないなって思う。

今、巷で話題の朝日新聞の誤報問題。
これって新聞が必ずしも信用に値するメディアではないことを、改めて証明したんちゃうかな〜と。
こんなのは朝日だけでなく、どのメディアでもおこりえることです。
朝日新聞だけの問題ではないというのがぼくの考え。

マスコミの煽るような報道姿勢がこういう誤報を生産していると考えてます。
今回の誤報問題は煽る姿勢が積み重なった結果です。

ものごとを正しく判断するにはまずは「正しい知識」と「情報収集力」が必要で、今はその能力がこれまでになく求められている時代だと感じています。
また、ひとりひとりの発言に責任が生じる機会が十年前と比べるとかなり増えています。
それは先日述べた通りです。

記事が「事実」なのか、記者の「推測」なのかを見分ける視点がないと正しく記事を読み解くことはできません。自分の考えを中途半端に記事に載せて煽る記者については、基本話半分で信ぴょう性が乏しいと判断すべきです。

また、世の中には個別情報としては事実ではあるけれど、全体としては嘘の結論を書いている記事もあります。
ここ最近では一部フリージャーナリストのオスプレイに関する記事がそれに該当します。
米軍基地に配備されたタイプとは違うタイプのオスプレイの事故率を記事中に載せて、オスプレイは事故率が高いと言っていました。
確かに米陸軍に配備されているタイプは事故率が高い。しかし日本の米軍に配備されたのは事故率がかなり低い海軍タイプなので、事実とは異なるわけです。
こういう捏造は、結局問題の本質をぼやけさせるだけで、問題解決を遠ざけます。
つまりオスプレイの件では沖縄米軍基地に関する問題をぼやけさせ、反基地派の印象を悪くするだけです。

過去には煽りで極悪犯罪者として逮捕された人がいます。
松本サリン事件です。
日本で初の毒ガステロとして、マスコミ、長野県警がパニックになっていました。
とにかく犯人を挙げて安心したいという県警の感情が優先されたと推測しています。また、マスコミもワイドショーを中心に根も葉もない推測を無責任に流して煽っていました。

フリージャーナリストであれ大手マスコミであれ、その発信する情報を鵜呑みするのはよくないということです。

では、ここから騙されにくくなるため、いつでも誤った情報から立ち戻るために
ぼくがやっている「ものの調べ方」について述べていきます。

ちゃんとやれば、政治経済系の成績なら、アメリカの大学の成績基準でGPA3.6(4点満点)くらいは取れるんちゃうかな。


【基本姿勢】
議題Aに対して、例えば「賛成」と「反対」があるとします。自分がどの立場にかかわらず、その両方の意見を調べるのです。
両方の意見や出されたデータを比較して、何が正しいかを判断するのです。

「えっ? これだけ?」
 と思われる方もいるとおもいますけど。これだけのことをするのが難しいわけです。なぜなら、まともに文章を読める人ばかりではないし、人間誰しも先入観があるし、自分に都合の良い意見ばっかり取捨選択してしまう傾向があるからです。(それは最近では朝日新聞の誤報で明らかです)

まず調べる前の心得としては「筋が通っているか?」の確認と「感情に流されない」っていうのは必要です。感情論ではなんにも解決しません、ただの自己満足、下手すれば感情にもとづいた意見で他人を傷つけることもあります。


では、物事を調べる時に必要な要素はなんでしょうか?

【基礎要素】
1.自分の意見を疑うこと
2.相手の意見に耳を傾けること。または文脈を含めて文章を理解すること。単語に惑わされない。
3.質問に回答しているのか? はぐらかしているのか?を確認し、論に筋が通っているのかを確認。
4.事実なのか? 推測なのか? 仮説なのか? 判断なのか?
5.数字データに関しては、単位が間違っていないか? 比較できない数字を比較していないか?
(例えば、基準値と実測値を比べるグラフは資料として正しくありません。なぜなら、比較できないからです。)

6.複数の問題をひとつに詰め込んで(ごちゃまぜにして)いないか?
7.基本的な文読解力
8.小学校六年程度の文章題の算数を解く計算力

【応用】
9.できれば、高校1年生レベルの化学の知識があると良い
10.文明の成り立ちを理解していると良い。
11.学び続けること。

以上です。

【解説】
1について、人間は自分が絶対正しいと信じたい生き物です。人間は誰でも間違いをやらかす生き物であります。
間違った時、自分が絶対正しいと信じこんでいると、後戻りができません。

2について、自分と異なる意見を聴くのには、非常に大きな忍耐が必要なこともあります。相手の意見や考えを聴くことは、あなたの持論の弱点を知るチャンスです。
3〜7は文章読解に関しての注意です。書いてあることそのまま、注意して文章を読み解いてください。

8については、簡単な計算ができないと騙される可能性が高まるからです。
都合の良い数字を出して消費者へ自社サービスの宣伝をする業者や企業は後を断ちません。これは報道機関も例外ではありません。

9については、原子の構造、化学式の仕組みや法則くらいは知っていてほしいです。科学に関する発言をするのなら最低限の最低限理解おくべきことです。

10については、経済、資本主義を語る上で、また歴史問題や戦争がなぜ発生したのかを知る上で重要です。

11について、学ぶことと調べることはちょっと違う。学ぶことってのは調べた内容を判断するために必要なことを勉強するということです。調べて知ったことを鵜呑みにするのではなく、勉強をする。
インターネットだけで、満足するんじゃなくて、専門家の本を読む。断片ではなく、総合的に論述されている文献から仕組みを学ぶことです。



 

誰でも発信できる時代

SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)っていつからあるんだろう?
インターネットでWebサイトが初めてできたのが1991年。
その三年後の1994年にはアメリカで最初のSNSのサービスが始まりました。

今はオワコンと言われることもあるmixiは2004年で、Twitterが2006年、今主にオーバー30が目立って利用している印象が強いFacebookmixiと同じで2004年からサービスを行なっています。

SNSってユーザー個人個人でHPみたいなのを持っていて、自分の日常や、考えとか意見とかなんかの感想とかを書いたり、写真や絵とかも発信できます。
それまでも日記サイトがあったりBlogがあったので、誰でも発信できるのはできたんですよね。

日本のことしか知らないので、日本を例にとるとインターネットが身近になる切っ掛けは1995年のWindows95の発売だったと思う。Windows95は多くの人にパソコンを使うハードルを下げた画期的なOSだったと思う。それまでもMacはあったし、Macは先進的だったかもしれないけれど、一般人が購入するには高価過ぎたんだよ。
Windows95発売当時、ぼくは高校2年生、インターネットを使いたくてうずうずしていた。もうその時にはインターネットを使った商売なんかもイメージがあって、もし当時インターネットが自宅で使えたら、違った人生を送っていたかもしれない。
いや、今日はそんなことを言いたいわけじゃないんだけど、パソコンへの扉を開いてくれたWindows95への想い出が溢れてしまいました。

ブロードバンド、今では100GBとか言われているけど、始まった当時は1MBでブロードバンドだったんだ。ダイヤルアップでやるインターネットは忍耐の連続だったから、1MBでインターネットを使えた時は感動した。まあ、そんな1MBでもガラケーと言われる携帯電話にはすでに太刀打ちすらできないんだけど。

で、ブロードバンドが1MBから8MB、12MB、50MB、100MBと技術が進んでくる中で、一般家庭のインターネット普及に大きく貢献したのは、WindowsXPだと個人的には思っている。Meや2000なんかもあるんだけど、XPほど惜しまれてないよなっていうのがその理由。
リリースされた2001年から延長サポート終了の2014年4月まで多くのユーザーが利用してきたんじゃないかな?

XPになるとCPUの演算速度もハードディスクの容量も格段に増えた。それに対応できるOSだったんだ。そしてパソコン自体の値段も下がってきていて、普及率は高くなり、インターネットを使う家庭もWindows95発売時点とは比べ物にならないくらい多くなった。

過去に人類がこんなハイテク機器を家庭に持っていた時代はなかった。

インターネットが気軽にできるようになって、SNSが普及し始めた。
SNSではそのSNSによるけれど、閉じられた空間で限定された人達に、つまり友人として相互フォローしている人達への発信だった。
その発信に対して、反応をもらって満足するのがSNSで、これは今でも変わっていない。

しかし、SNSの中には「拡散」機能をもっている物があって、それが日本にも現れた。それがFacebookTwitterなんです。
昔は三文新聞や、三文週刊誌レベルの話題が、FacebookTwitterによって容易に拡散されるようになりました。これが時々ニュースを賑わせているわけなんですけど、これって昔からある状況ではなく、ここ数年のことなんです。
特にSNSをやっている人にとっちゃ当たり前過ぎて「はっ? 何言ってんの?」って感じなんだろうけどね。
頭の良い人はこの記事を読む前に気がついていると思うけれど、今はね「誰でも発信」できる時代なんです。そして誰かが発信した情報を誰でも「拡散」できる時代なんです。
だからこれまで居酒屋で愚痴っていた内容が、居酒屋で終っていたのに、うっかりTwitterでつぶやいたことによって拡散され炎上する事態が発生するんです。
これまでそれほど話題にもならなかったようなことが、大いに語られあたかも社会問題になったりするんです。
だってインターネットが普及する前って不特定多数に発信するのって印刷したチラシを配るとか、街頭演説するとか、広告を自腹で出す。もしくはコミケで同人誌を売るとかくらいだったんですよ。それがインターネットの普及で誰でも発信できる様になったのってすっごい変化ですよね? 
そう思いませんか?
つまり、あなたが発信する内容には大きな影響を及ぼす可能性があるってことなんです。
だからこそ物事をどう調べるかが重要になります。
ただ、残念なことに学校では物事をどう調べれば良いのかを教えてくれません。
教えてくれる教師がいたらむしろラッキーな状況なんです。
それはその教師が実は物事の調べ方を知らないからです。残念ながらその影響はジャーナリスト、新聞記者にも顕著です。


次回はその物事をどう調べるかについて書きます。
(つづく)

今後の指標というか。。。

冬、寒いですが、ぼくは良い感じでホットにいそがしいです。
皆さんはいかがおすごしですか?

今年の目標というか指標というかは「楽しく、おもしろく、うれしく」にしよっかと。

楽しければ「やる!」
おもしろければ「やる!」
そして楽しくておもしろいは「うれしい」になる。

だからマネジメントの部分も自分の行動もこの三語を念頭に置いて行きたいと思うのです(あくまでも目標として)。
common bar SINGLESのほうはこの三語の通りにいけるかはわからないけれど。
アートユニット nozusonはこの三語でやれたらと考えています。

今年、個人的に取り組んで行こうと思うのは「表現の進化と深化」
友人の詩人が言っていたSIAM SHADEの「1/3の純情な感情」の歌詞の一部

壊れるほど愛しても1/3も伝わらない

この部分に取り組んで行きたいなと考えています。
「どう伝えるか?」
これまで詩や小説ではこの点を考えては当然いたのだけれど(音楽の歌詞そんな意味ではかなりテキトーです。むしろ無意味な歌詞の方が多い)、そのアプローチ方法というか考え方を変えるというか深めて行こうと思っています。
うまく行くかはわからんですが、まあやってみようと思います。

2013年は「失敗」の一年だった

脳内で新曲がループして止まりません。
Body and soul
Body and soul

4月末から一切ギターを触ってませんな。そう言えば。。。

皆さんは世間並みに年末年始をやっているのでしょうね。
ぼくも気がつけば飲み会だらけで、本当に驚いてます。今年の12月はこんなに飲み会ばかりになる予定ではなかったのですが、いや、職場のなんやかんやで辞める人が多くてですね。他にもあるんですが、こんな事態になっているぽいです。

今年は三つも部署を流浪しました。今の部署はかなり濃い個性が固まっていて、自分の影が薄いな〜ということにしています。
この12月は今の部署の某ルモ・T(仮名)さんの要望でお蔵入りになった小芝居の脚本、推理合戦用のシナリオ、脱出ゲームと三つのモノを仕上げました。
推理合戦の問題を人生初書けたこと、そして脱出ゲームを曲がりなりにも完成させることができたのは自分でも驚きました。まあそれをやらされた人は楽しんでいただけたのか? ってところはありますが。この12月はけっこうがんばったのではないかと思います。

表題の通り、今年はやはり「失敗」が特に目につく一年だったと感じています。
それはやはり自分の能力不足が起因だと考えています。
友人がtwitterSIAM SHADEの「1/3の純情な感情」の歌詞の一部

壊れるほど愛しても1/3も伝わらない

を引き合いに出し、人に伝える難しさを言っていたけれど、それをこれほどまでに痛感した一年はなかったかもな〜と思います。
特に自分とは違う方向でモノを考える人達の先入観を覆すのはやはり困難を極めました。
それはやはり、ぼく自身が言葉を尽くせなかった部分や、説明がうまくなかった部分もあると思います。
そして、動いて欲しいと思った人を動かす力がないなっていうのも改めて痛感しました。まあ、もともとそんな能力が自分にあるとは思ってはいないのですが、立場上それは必要なんですよね。
相手を信じた上で、相手を動かす。またはどこかで見切りをつけるっていう能力が。
詳しい内容は書きませんが、その件については去年の11月の時点で見切りをつけなければならなかったのですが、相手を信じ過ぎてしまいました。この失敗を取り返すには過去に戻らないといけないんでしょうが、当然過去には戻れないわけです。
周囲がこの件で迷惑と考えているのかはわからないし、多くの人は気にしていないことなんでしょうがね。

人に何かを発信する。理解してもらうには費用や労力を最低限かけないといけないんですが、そこがやはりできない。させてもらえないとなると、正直キツいです。
ぼくが考えているビジョンが崩れてしまうと、ぼくが予測している結果を測ることができないからです。それはつまるところ、ぼくの考えているビジョンが、ぼくが考えていることを実行しても達成できないという周囲の反応なわけです。
果たして未来をぼくがどう描いているかをどれだけ伝えられたのだろう?
1/3も伝わっていないと思います。
それも含め、明らかな力不足ですね。
そんな意味で自分のマネジメント能力の低さを痛感した一年でした。

その他にも細々とした失敗はありますが、それは言いますまい。

来年はどうなるんだろうと思いますが、それは来年になればわかること。まずは今目に見えていることに力を注ごうと思います。

【?なこと】少し家のことを考えてみる。

お家があるのは良いです。
雨が降っても家に居れば濡れないし、夜寝るのも安心だしね。

家の構造っていうのは地域性があるのかなと最近考えています。
というのは、大阪の独り住まい用のワンルームマンションをネットで物色していたのですが、ぼくの住む独り住まい用のマンションとは一部構造が違うのです。
ぼくの住むところには洗面スペースがありません。風呂場がその役割を兼ねています。でも、大阪のマンションには必ずと言って良いほど”洗面スペース”があるのです。
これが地域性のものなのか、どうかはわからないけれど。

また現在住んでいる地域でよく見かけるのですが、自宅敷地内駐車場と玄関の関係がぼくの実家周辺とは違うのです。
ぼくの実家周辺は玄関から出て、一歩も敷地外に出ずとも車に乗車することができます。また、駐車場の仕切りを開けるのも、同様に敷地外に出る必要がないです(車のサイズや駐車スペースの広さによりますが)。
これを読む方のところがどうなっているかはわかりませんが、今住んでいるところでは、家と駐車スペースがはっきりと分かれている家がちょくちょくあります。
同じ敷地内に駐車スペースはあるのですが、一旦敷地外に出ないと車に乗れません。
中には一旦玄関から外に出て、ぐるりとまわらないと駐車スペースに入れない家もあります。
これが地域性なのかはわかりませんが、自宅敷地内で駐車スペースに出入りできる環境にいたぼくにとっては奇異に見えます。


そう言えば、金沢の叔父の家のトイレってたしか男子用小便器と洋式トイレが併設されています。家の敷地の大きさも関係はあるだろうけれど。

家の構造、敷地利用の仕方などを観察してみると「?」がちょくちょく出てきます。
なんでそうなっているのかはわからないけれど。
みなさんの家はどうなってるんでしょうか?