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点尊降臨!

「ぼくが何者であるかは、お前が決めれ!」 なんか創る人をやってます。

いずれ解れてなくなる絆であったとしても

「生きるか死ぬかそれが問題だ」

 シェイクスピアの『ハムレット』の冒頭でハムレットが語る言葉だ。

 

昨日、ぼくは5年ぶりに歯医者へ行った。

右の上の奥歯がものを噛むと痛むのだった。歯医者で局所レントゲンを撮り解説を受けた。虫歯を治療した際の詰め物をした奥歯の周辺でどうやら痛みが生じるようだった。

ぼくは医者の解説を静かに聞いた。結局のところ、様子を見るということになった。昨日は結局歯のクリーニングと痛みが生じる箇所をコーティングしただけで終わった。

その時、医者はぼくに「これからも長い人生だから、歯の治療について云々・・・・・・」なることを言っていた。そんなに長く生きる保証なんてあるのかと、少し思った。平均寿命的にはそうなんだろうけどね。

 

小中学の同級生が亡くなった。昨夜、知り合って30年の友人が教えてくれた。LINEでそれを伝えてくれた。現代的だ。

今日がその葬式らしい。

ぼくは取り立てて彼とは親しくなかったし、かと言って仲が悪かったわけでもない。二年か三年前に同級生で集まることがあり、その時に会ったくらいだ。
まあ、普通の同郷の同級生というところだ。
 
死んだ同級生のことは、たぶん小学校1年くらいから知ってると思う。30年来の知り合いである。友達というほどの付き合いはなく、ただ知り合いというには親しすぎる。いや知っている気になっている。
 
ここ1年ほどで「絆」について考えている。ぼくは彼とぼくの間にあった言いようもない繋がりのことを考えている。それほどの絆を彼とは築いてこなかった。でも、知っている時間はすごく長い。
さっき彼の死を教えてくれた友人とLINEでチャットをしていた。ほとんど忘れていた彼の記憶がわき水のように、ぼくの記憶の表層へにじみ出て来た。そこでようやくぼくは彼が死んだことを実感した。
 
 
絆とはなんだろう? 一度結んでも、解れていくものなんじゃないのかな? 結び直して結び直してってやる必要のあるものだったり、それが必要なかったり、絆にも色んな結び目があるんだろうと思う。
 
ぼくは葬式には行かない。たまたま知ってしまっただけの彼の死を悼む資格があるとは思えないからだ。語る言葉をほとんどもたない者がそこへ行くのは憚られる。だから彼のことを語る言葉を持つ人たちの空間が維持されることを願っている。思い出になってしまった彼を、思い出すことでぼくは彼を悼もう。
 
ぼくはいずれどこかで死ぬだろう。これ読む人が知らないうちに死ぬだろう。当然、これを読んでいる人がいつ死ぬのかなんて知らないし、知らないうちに死んでいるんだろう。もともと一期一会ということはそういうことなんじゃないかな。今日出会った人が気がつけば鬼籍に入っている、むしろ知らないうちに鬼籍に入っていることなんてザラだろう。
 
だからこそ、いずれ解れてなくなる絆であったとしても、その時だけでも大事にするっていうのはアリなのかもしれない。
そう、思う。明日は君の名前を忘れているかもしれないけれど、それでも今君と過ごす時間は大事なんだって言える。そんな関係じゃないと一期一会がもったいないから。