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点尊降臨!

「ぼくが何者であるかは、お前が決めれ!」 なんか創る人をやってます。

率直な感想『事件の夢、夢の事件ー多羅尾伴内の世界 千年女王編』オリゴ党

本日、と言っても日付は変わっているが、職場の同僚が主演のお芝居を観てきました。
場所は大阪市天王寺区にあるお寺が経営しているシアトリカル應典院。2年以上前だと思うんだけれど、ピースピットの『Mother』を観に来て以来で、ここに来るのはこれで2回目でした。

お話の内容は、引きこもりのアムロ レイイチが夢の中で出会った女性ヤヨイに会いにミャンマーに行った、というか行ったんだよ〜多分という話です。アムロが自分自身を探す物語であり、自分がないというヤヨイをアムロが救う物語なんだろうなと観劇後感じました。話の転換点にタイトルにもある「多羅尾伴内」が重要な役割を果たします。その多羅尾伴内を劇中に出す為に探偵とその助手が多羅尾伴内を探しにミャンマーに行った設定になっていました。

夢なのか? 現(うつつ)なのか? は判然とさせない演出がされていました。
さっきはこれは夢って言ってたから、こんどは現実のお話なのか? と思って見ていると「夢だよ」みたいな演出でした。だから、観客は夢か現実かの仕分けができなくなったと思います。
そう、今自分がその両の眼を通して脳で認識している景色が現実なのか? それとも夢なのか? 本当にわかるの?という良く言えば”問題提議”悪く言えば”わかり辛い”という諸刃の剣な芝居でした。
もともと引きこもりのアムロ レイイチが夢で実際には一度も会ったことのないヤヨイに呼ばれて飛行機でしか行くことのできないミャンマーまで行くのだろうか? と思ったのですが、そこは夢かもしれないので有りなんですよ。舞台に立っている役者というかキャラたちも夢? 現実? たぶん夢かな・・・くらいの勢いだし、観ている観客にとっても舞台でのお話の設定が現実なのか? 夢なのか?はよくわからないのです。

この手の芝居はこれまで子供鉅人や少年王者舘などで観てきましたが、今回観て強く感じたのは観念的なお芝居というのは私たちの脳という存在のいい加減さというのかな。脳はすごいものではあるのだけれど、エラーを時々起こすというところをフォーカスしている芝居になると感じました。私たちが見ているものの全ては脳がそう認識して初めて見ているのです。つまり、両眼はあくまでも映像を捉える為のレンズに過ぎない。脳のいい加減さが大きく扱われている作品になるのです。なので娯楽作品かと言えば、そうではなく好き嫌いが分かれると思いました。

脚本上どうかな?と思うところが正直あって、つまりネタをどう芝居に織り込むかという点で難しいと思うところがありました。
これを読んでいるみなさんは「アムロ」と聞いて誰をまず思い浮かべるでしょうか?
ガンダムアムロ・レイでしょうか? それとも歌手の安室奈美恵でしょうか? 主人公は男性なんでガンダムを知っている人はすぐに「アムロ・レイ」だったかもしれません。
『事件の夢、夢の事件ー多羅尾伴内の世界 千年女王編』は「アムロ」でガンダムをイメージさせて、「アニメ」という言葉の印象を現実とは真逆の意味で観客に考えてもらおうとしているところがありました。
なので、「アニメじゃない♪ 本当のことさ〜」というから始まる、三作品目のガンダム『機動戦士ZZガンダム」のオープニングネタが導入部分で使われていました。ぼく自身は結構『ZZガンダム』は好きですが、作品としてはマイナーになると思います。しかも作品としてはもう20年以上前のものだし、記憶に残っている人も少ないし残っていても印象を強く残すことは難しいと思いました。
アニメという言葉をイコールで幻想や妄想とつなげようとするなら、もっと別の表現を先にしておいてこのネタを仕込むなどの工夫は必要だったかもしれないなと思います。陸上競技の種目で三段跳びを行なうとき、ホップとステップを飛ばしていきなりジャンプをしている印象がありました。
ネタの仕込みの困難さを強く感じました。

作品自体はタイトル通りで、その意図は達成されていると思います。
ぼくは結構娯楽作品が好きなので、もう少しわかりやすくしてもらえると良かったかなと我がままを申しておきます。