点尊降臨!

「ぼくが何者であるかは、お前が決めれ!」 なんか創る人をやってます。

Common Bar SINGLESについて 1

今日は今自分が関わっているCommon Bar SINGLESについてお話をします。
Common Bar SINGLESは毎日違う人がお店に立って営業するバーです。なので、色んな人がお店に立ち、当然その日によってバーの趣向は変わります。普通にバーの営業をする人、趣味にまつわる企画を立てて営業する方、友人とアートに関する企画展をされる方などがいます。

この場所がCommon Bar SINGLESになる前はBar SINGLESという個人経営のバーでした。
Bar SINGLESは1999年5月7日に初代マスターのシングルマン氏によってオープンし半年後にキムさんという女性の方にマスターが変わりました。当時はレゲエバンドのフィッシュマンズが好きな人のたまり場になっていたとのことです。当時扇町ミュージアムスクエアの支配人をされていた山納洋氏は扇町talking aboutと題し、扇町のカフェやバー、居酒屋などでサロンを展開する活動をされていました。この扇町talking aboutの会場の一つにBar SINGLESがありました。
ただ、やはり中々経営状況が厳しかったようで、Bar SINGLESは主に経済的理由から2001年2月23日に閉店となりました。

扇町talking aboutの主催者であり、Bar SINGLESの常連客でもあった山納氏はBar SINGLESを再生しようと考えました。そこで採用されたのが日替わり店主制度です。日替わりでその日の営業に責任を持ってもらうことで、個人営業での負担を減らす意図がありました。
「お店を維持する重みをみんなで分担して背負う」(P.65 9-10『コモンカフェ Common Cafe』山納洋 西日本出版社 2007) というのがこの制度の趣旨です。
こうしてBar SINGLESは共有酒場としてCommon Bar SINGLESと名を変えて2001年5月6日にスタートしました。
そしてこの共有酒場の試みは2004年11月27日を持って一旦終了しましたが、共有酒場としてやってきた約3年半の間に関わったマスターや、新たに関わって行きたいと考える有志によって山納氏から管理を引き継ぎ今に至ります。

代表としてぼくが4代目なのは、山納氏から数えて4人目だからです。

本日は暴風波浪警報にて休みになってしまった。

このブログを見て、本日Common Bar SINGLESへいらっしゃる方はまずいないとは思うが、本日は暴風波浪警報のため急遽休みになってしまった。
開店のため家を出て最寄りのJRへ着くと、大勢の人が改札前にたむろっていた。田舎の駅なので、普段改札に人が大勢いるなんてのはそうそうない。電車が止まっているとか大幅に遅れているときくらいだ。

予想通り電車が遅れていて、このままでは間に合わないと、タクシーで近鉄の駅へ向かう。
電話で問い合わせると近鉄は地理上の関係なのか大きな支障がなく動いているとのことだった。こうして近鉄をつかい環状線を利用して大阪へ向かおうとした時、仲間からメールが入ってきた。
どうやら、大阪の状況は予想をはるかに超えて酷い状態で、地下鉄(御堂筋線)も環状線もストップしているとのことだった。

家を出る前に知り合いがtwitterにて新大阪で新幹線が立ち往生しているとのツイートがあったので、ちょっとヤバいのかもとは思っていたのだが「オレ、運良いし。なんとかなるだろう」と高をくくっていたのだった。
ところがだ、台風なみと言われていた爆弾低気圧は一般的な台風を超えて影響があったのだった。
まさか環状線までと思っていたのだが、相当の風であったようだ。
仲間のすすめもあり、ここは致し方無しとその提案を受け入れることにした。
今日のために昨夜から仕込んだ牛すじとだいこんのたいたんを食べてもらえないのは残念だったが、ここはあきらめねばならなかった。今回は久しぶりの通常営業ということで、おつまみの点で相当気合いが入っていた。それに自分のシフトを休みにしたことがなかったので、それもすごく残念だった。

次回自分が入るのは今のところ五月を予定。
五月はどうするかな? 何か企画をしようか?

放置していたブログを再度やろうと思います。

というわけで再開します。
あんまり難しいことというか難しすぎることは書かない予定。

今は普通にバイトしつつ(契約社員)、まだ学生しつつ、そして共同経営のバーの代表をやっています。
共同経営で、日替わりマスター制度なんで毎日自分がお店に入るわけではないんで楽です。毎日違う人がお店に立ってその日の経営の責任はそのマスターにやってもらうというシステムです。


(写真はアートバーでの風景)

とりあえず4月3日19時30分から自分が入っています。
もしお時間よければお越し下さい!
手作りおつまみ含め酒のあて用意しておきます。

時間は19時30分から
TEL:06-6366-1131
大阪市北区堂山町10-16
叶レジャービル2F

twitterhttp://twitter.com/bar_singles
WEB=http://www.talkin-about.com/singles/schedule/webcal.cgi

年記

あれま〜ずっと放置してた。

過去一年様々とありました。
そして、その様々の中で自分の姿勢がぶれることもありました。
そのブレを修正しつつ今に至るという。


去年は転換点だった。おかげで生きています。

とりあえずそんだけ

【尊学】与えよ、されば与えられん

「与えよ、されば与えられん!」


与えるということは大事です。
同じように受け取る事も大事!

両方をバランス良くできる人は、仲間をもつことができます。


与えるだけでは自分が疲弊します。
受け取るだけでは相手が疲弊します。
与えあえば、お互いが豊かになります。

それは愛情も友情もそうです。



時には全然知らない人に与えたって良いと思います。
与えられた人はどこかで、その分を返さなければならない。
それを怠るとどんどん貧しくなっていく。
時には「命」でそれまでの負債を支払うことになる。
だから与えられた分はどこかで返して行く必要がある

与えてくれた人に返すのもありだし、別の人に与えるのもあり。
ここで言う与えるとはそういう意味です。

与えるもの、受け取るものには何があるでしょう?



思いやり
友情
愛情

でしょう。他にもあるかもしれないけれど。

人間関係でもこちらが関心を持っても、相手に関心がない場合は長続きしません。それに、そんな関係は長続きさせる必要などないです。

自分は大事です。でも、同じように他人も大事です。
自分に関心のある人には、当然何かメリットを人は与えたくなるものですが、自分に無関心な人には与えたくなくなるものです。

だから与えましょう。そして受け取りましょう。
与えて響かないと判断したなら、その関係は切るべきです。
特に自分に敵対してくる相手、つまり自分に対する敵意を翻すことがない人間には反撃すべきです。
それはどんな形でも構わないと思います。
そういうタイプは与えられて当然という思考を持っています。
また、人間を上下関係で捉え、常に自分の位置関係に気を配っています。
自分より上の者には文句を、下の者には威圧をかけます。
そのタイプは奪うことはあっても与えることはしません。
仕事上しかたなく付き合わざるを得ない場合もあると思いますが、最低でもプライベートは切りましょう。
こちらには全くメリットがありません。
仕事でも、その環境を変えられるように努力しましょう。
そのために、時には相手を職場から追い出すくらいしても構わないと思います。

前記でも記したように
愚痴
妬み
怒り(怒りつづけること)
は自分にとっても、周囲にとっても良いものを生み出しません。

このタイプの人間は
愚痴
妬み
怒り(怒りつづけること)
を常に発信しているので、周囲の評価もイマイチだったりするのです。
また自分がこのタイプの人間であるなら、反省すべきです。
あなたは自らその才能を発揮する機会を奪っているからです。

愚痴
妬み
怒り(怒りつづけること)

は能力の発揮を妨げる要因になります。

愚痴るなら解決策を練るべきです。
妬むなら、相手の長所をコピーすべきです。もしくは努力すべきです。
怒る前に相手に自分の考えを伝えるべきです。


愚痴
妬み
怒り(怒りつづけること)
を追放する努力をすると、まずあなたの能力が引き出され始めます。
すると、豊かになる道が少し開けてくるはずです。
人間関係において、また金銭おいても。


与えるには豊かにならなければなりません。
与えるには精神的に物質的に豊かである必要があります。
どちらに比重があるかと言えば、精神的な部分でしょうか?

物質的に豊かでも精神的に貧相であるなら、その人は与えないからです。

与えることは自分に対する投資であるとともに相手に対する投資です。投資した分が回収できないと判断したらなら、人間関係を切っても良いと思います。

人間関係を切るべき人間とは

与えてもらうことばかり考えている人間。
そしてそのタイプの人間には常に3つの悪がついて回っているはずです。
それは
愚痴
妬み
怒り(怒りつづけること)

この人間はあなたから奪うことはあれ、与えることはしません。
ぶった切りましょう!


また与えるべき人間、与えても良い人間とは。

現状を変えようと努力している人間
相手を大事にする人間
自分の仲間(当然仲間同士を認め尊重できる人間)
自分に与えてくれる人間

です。あなたに良い影響を与えてくれる人間には与えましょう。受け取ることを拒否する人間もいるかもですが、時には強引に受け取らせることも必要です。
「ぼくは君からいっぱいもらったからお返ししたいんだ!」
とでも言って受け取ってもらいましょう!


また、相手からも多いに受け取りましょう。
与えるばかりではあなたが疲弊します。

受け取ることと与えることは人生を豊かにする両輪なのです。
そして、それはあなた自身にも周囲にも良い影響を与えるはずです。


与え合う。
与え会う。

これ重要です。

【尊学】自己価値について2

前の記事でとりあえず人間には「価値」があるということは述べた。

さて、この自分に備わった「価値」をどう扱うかは個人によって変わってくる。
できれば良いものにしたい。

そう思うのが普通かもしれない。

人それぞれの状況があって、必ずしも正しく生きること(世間一般で言われるような)ができないかもしれない。

それでも自分の価値をどうするかは、結局自分にかかってくるのである。
だって、生きているのは他人ではなく自分だからだ。


そんな自分をどう生かすべきか?

まずは

How do you make your own life?
どのように自分の人生を作っていくのか?


を考え「目標」を設定することが重要だ。
目標を設定しそのことを考え行動するなら、徐々に状況が変化していく。
そして変化するように自分から働きかけるようになる。
おのずと出会いがやってくるし、おのずとチャンスがやってくる。
当然中にはクソみたいな出会いもあるし、足を引っ張る事件だって起こる。
それら全てを自己分析と状況分析を通じて、判断していく。
初めは失敗するかもしれないが、判断は自分がし決断して実行しなければならない。

人生は「自己責任」だからだ。

誰も私やあなたの人生の責任はとれない。自分で自分の人生に責任を持たなければならない。

厳しいと考える人もいるだろうが、現実としてそうなのだからそこは受け入れなければ、何も前に進まない。


さて、状況を変えるのに必要な要素はなんだろう。

まず、自分が変わること
そして状況を変えること


自分が変わるとはどういうことか?

「目標」を達成するために私たちは生きるわけである。その目標は人それぞれ様々だ。それでもより良く環境だけでも変われば良いと思わないだろうか?

そこで自分を変えるには
愚痴を言わない
妬まない
怒らない(怒りつづけないが正しいかな)


この3つが重要だ。

そしてこの3つを守れないというか、実践する頭のない人とは距離を置くことだ。それができないなら、感化して自分の側につけてしまうことだ。

だいたい仕事の愚痴や妬み、怒りは現状を上司や部下間で共有できない(それは他の人間関係でもそうだ)からだろう。

現状に問題があるなら、その情報を共有できるように上司や部下に話すべきだ。当然相手を説得するのだから、しっかり戦略を練って、順序良く、例を挙げながら話すわけである。その中で協力しあって解決していくのだ。

まあ、大半はそれができないから、愚痴が場を占めるのだろうが。
とにかくプレゼンテーションをすることだ。
そのためには自分で本を読むなりして研究するしかない。
だって、日本の教育ではプレゼンテーションなんかほとんどトレーニングしないのだから、そこはセルフイノベーションが必要になってくる。


愚痴、妬み、怒りの三要素はあなた自身の能力発揮を妨げる要素なのだ。そのことをまず頭に入れて欲しい。
当然この3つは自分に対しても他者に対してもするなということである。

自分を卑下したところで、自分は変わらないのである。

それなら卑下することを止めて、自分にできることを探す方が良くはないだろうか?

愚痴っていても現状は変わらない。
妬んでいても自分はかわらない。
怒り続けていては何も手につかない。


少なくともこの3つを止めるだけでも、あなたの価値は上がる。


愚痴る前に現状を分析し把握し解決策を練る
妬むより相手のできるところを尊敬し盗めるものは盗む
怒るより、やるべきことをやる。



また続きは次回

【尊学】自己価値について

人間の存在価値とはどういうものだろうか?
社会に与える影響度でそれは測られるのかもしれない。
人間が単純な存在ではないのと同じように、社会も単純ではない。
なぜなら複雑怪奇な人間達やその他環境など様々な要因が絡み合って社会が形成されているからだ。


確かに社会に有益有害どちらにせよ影響を与える人間の存在は大きい。ただ目に見えた影響力を持たないからその人の存在価値がないとは言えない。

なぜなら、存在するだけで既に社会に影響を与えているからだ。
バタフライエフェクトという言葉を知っているだろうか?

蝶の羽ばたきが、何千キロ離れたところで台風になるという話。
それと同じように、一見つなまらないと思われる存在が「いる」「いない」によっても変化は起きるのである。


生きている限り、なんらかの「影響」をあなたは世界に与えている。
それがどんなものなのかは、今すぐには判断できない。
短期的にでる影響は目や耳に入りやすい。
だが、長期的な影響は見えにくいし耳に届きにくい。


私には価値がない。
そう言う人もいる。
それは間違いである。
むしろ、存在しているだけで既に世界に影響を与えているのだから、存在しているだけで「価値」は確かに発生しているのである。


自己価値の見定め方として、自己分析と他人による分析を組み合わせなければならない。
自分が感じる自分自身と他人が感じるあなたは違うからだ。
他人はだいたいあなたとの関係の中であなたの存在を測る。
あなたはだいたい他人との関わりの中で何を感じたかで自分の存在を測っている。

このバランスが崩れると
自分を責め過ぎるか他人に依存するかになってしまう。
自分を責め過ぎる人は他人の自分に対する想いをある程度受け入れると良い。
他人に依存する人はもっと自分を測る物差しを信頼するか、鍛えるべきだ。




今日、これを読む人間が憶えておくことは一つ
「存在しているだけで価値がある」


続きはまた今度